今回は、いったん鉄道から離れます。
今回は、主撮影の航空機特集です。
旅客機だけですがね。
あ、撮影地はすべてセントレアです。
キャセイ・パシフィック航空機
形状からは分かりませんし、
側面を見ても何もわかりませんでした。
照合してみたところ、
エアバスA330が該当すると思われます。
日航MD-81型機
普通、エンジンは両翼につきますが、
B717/727/L-1011トライスター/DC-10/MD-11/MD-80・MD-90シリーズ
や、ソ連のツポレフTu-154などは、両翼ではなく機体後方についてます。
厳密に言うと、DC-10・MD-11・L-1011は、第2エンジンのみ後方にあります。
第1・3エンジンは両翼についています。
また、DC-10・B727・L-1011は、
エンジンが垂直尾翼に串刺しになっています。
また、その影響で、水平安定板や、エレベータなどの水平尾翼は
垂直尾翼の上部についてます。
全日空のB767型機
MD-80シリーズとは違い、
水平尾翼が垂直尾翼よりも下の機体後部についています。
離陸成功した全日空機
空の彼方へと消えてゆきます。
B747の日航機とDHC-Q-400?の全日空グループ機
B747は日本でもDC-8や、YS-11などと並んで、人気の機種ですね。
2014年を持って引退してしまいましたが。
1985年には、SR機が墜落していますね。
主はその当時生まれてはいませんが、その当時の映像を見ていると、
非常に痛ましく思います。
正式な原因としては、
しりもち事故を起こしたときに破損した圧力隔壁修理がまずかったために、
金属疲労が急速に進み、このとき破壊してしまい、
一気に客室内の空気が尾部へ流れ込み、垂直尾翼の大半を喪失して油圧喪失し、
操縦不能となったためとあります。
しかし、クルーは必死に立て直そうと、30分間も機体を飛ばしました。
油圧喪失の中で30分も機体を飛ばすのは、偉業に近い技です。
きっと主がこの状況なら、きっとあきらめるでしょう。
また、この事故では、後方にいた4人が奇跡的に生還しました。
なぜなら、機体の激突とほぼ同じ頃に分解し、
後方は衝撃が少なかったからです。
しかし、前方の衝撃が強かったことと、
機体は折り返しの便の燃料も積んでいたために起きた火災などで、
520人(胎児含め521人)の命が失われました。
この場で、ご冥福をお祈りいたします。
ミサイルによる撃墜では無いかという意見も出ています。
本当のところは主には分からないですが、
撃墜による油圧喪失で着陸に成功した例はあります。
2003年にDHLのエアバスA300が地対空ミサイルで左翼に撃墜を受け、
油圧3系統すべてが破断しました。
しかし、スラストレバー(エンジン出力を調節するもの)による推力操作で、
高速での進入ながらも着陸に成功しています。
暗い話はここまでとして・・・・。
単独で撮影。
旅客で運べる数は、今でこそエアバスA380型機には劣りますが、
それでもジャンボの名前にふさわしい姿だと思います。
ちなみにさっきのは着陸便
これは出発便
機種不明
日航機です。
後方を写したもので、圧力隔壁は、
垂直尾翼のある辺りにあります。
客室内の圧力を一定に保つ働きをするものです。
なぜこうするのかと言いますと、
機体そのものが、空中と地上で、形状が僅かに変わるからです。
日航機同士です。
747は恐らく400シリーズでしょう。
手すりに隠れて見えにくいですが、
大韓航空機が2機と、ユナイテッド航空機が1機です。
3機の全日空機と、1機のDHL機
DHLと言うと、さっきのほかにも、
ドイツのユーバーリンゲンの空中衝突を思い出してしまいます。
バシキール航空2937便とDHL機が、
管制のずさんな対応と、双方の認識の食い違いによって起きた事故です。
双方とも、航空機同士の衝突を避ける、TCASというものがありましたが、
バシキール機が管制に従い降下、DHL機は、TCASに従い降下しました。
そして、空中衝突を起こしました。
また、管制官も2人体制でやら無いといけないのが、1人でこなしていたのと、
機器のメンテナンスも重なり、不運に不運が積み重なりました。
これによって、TCASと管制官の指示が違った場合は、TCASに従うことが明確化
されました。
今回は、ここまでです。
次回から、また鉄道に戻ります。
次回、電車でGO FINAL 攻略その5 西明石行き 区間その4 尼崎→芦屋
をお届けいたします。