鉄道輸送がまだ大量輸送の花形だった時代、高度経済成長真っ只中とはいえ、
詰込みだけに配慮した高性能車を入れても、通勤時間帯以外はどうしても乗客が少ないために必要かどうかが不安になることがありました。
その為鉄道会社は、詰込みに利く以外にも、車内を快適な環境に、それもどうやって提供していくかということに対しても考慮することが要求されました。
1、有料特急の積極的導入
近鉄と南海、国鉄はこの手法を採用しました。
近鉄では1958年に10000系が運用開始。
それまでに運用されていた2200系、2250系とともに、
近鉄特急網の拡大の嚆矢となりました。
*それ以前に、1954年の奈良電気鉄道において高性能の特急車が導入されています。
(近鉄680系)
南海では、1954年に初代11001系を本線に導入し、
なんば~和歌山の区間で特急運転を開始。
以後、国鉄阪和線にとっては脅威となります。
国鉄においても、1960年代になると、
白鳥やきたぐになど、聞きなれた名前の列車が続々と運転を開始していきました。
2、無料特急で乗客を呼び込み
京阪と阪急はこの方式を採用しました。
*イメージ
阪急電鉄では、1964年から京都線の特急用として2800系を導入。
京阪電鉄ではその1年前に1810系(画像は3000系)を特急用として新たに製造。
運用に充当されました。
また、阪神もこの方式を採用しています。
1954年に導入された3011形は、無料ながら2扉転換クロスを採用。
梅田~元町を25分で結びました。
いずれも無料特急で、国鉄とともに競争を繰り広げました。
当時、快適なサービスの提供にはまだ冷房という選択肢はなく、
転換クロスないし指定席というだけでも非常に聞こえのいい時代。
しかし、日本の平均気温の上昇がみられるようになると、
徐々に冷房サービスも広まっていくことになります。
次回に続きます。