2017年01月

鉄道輸送がまだ大量輸送の花形だった時代、高度経済成長真っ只中とはいえ、
詰込みだけに配慮した高性能車を入れても、通勤時間帯以外はどうしても乗客が少ないために必要かどうかが不安になることがありました。


その為鉄道会社は、詰込みに利く以外にも、車内を快適な環境に、それもどうやって提供していくかということに対しても考慮することが要求されました。

1、有料特急の積極的導入

近鉄と南海、国鉄はこの手法を採用しました。

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近鉄では1958年に10000系が運用開始。

それまでに運用されていた2200系、2250系とともに、

近鉄特急網の拡大の嚆矢となりました。


*それ以前に、1954年の奈良電気鉄道において高性能の特急車が導入されています。
(近鉄680系)


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南海では、1954年に初代11001系を本線に導入し、

なんば~和歌山の区間で特急運転を開始。

以後、国鉄阪和線にとっては脅威となります。



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国鉄においても、1960年代になると、
白鳥やきたぐになど、聞きなれた名前の列車が続々と運転を開始していきました。


2、無料特急で乗客を呼び込み

京阪と阪急はこの方式を採用しました。

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*イメージ

阪急電鉄では、1964年から京都線の特急用として2800系を導入。

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京阪電鉄ではその1年前に1810系(画像は3000系)を特急用として新たに製造。

運用に充当されました。


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また、阪神もこの方式を採用しています。

1954年に導入された3011形は、無料ながら2扉転換クロスを採用。

梅田~元町を25分で結びました。

いずれも無料特急で、国鉄とともに競争を繰り広げました。




当時、快適なサービスの提供にはまだ冷房という選択肢はなく、

転換クロスないし指定席というだけでも非常に聞こえのいい時代。



しかし、日本の平均気温の上昇がみられるようになると、

徐々に冷房サービスも広まっていくことになります。


次回に続きます。








これは主も最近気づいたのですが、鉄道車両の撮影歴が長いと、昔撮影した車両がどんなものだったか忘れてしまっているということもある話です。


そこで今回は、主が知らないうちに撮影していた車両をご紹介します。



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このタイプ、実は3回遭遇しています。

この車両の特徴として、窓の配置がコマわけではなく連続窓というのがありますね。



それでは。


今回は、近鉄で何かするときに、何も知らない人が絶対後悔する(かもしれない)事例をいくつか紹介していきます。



1、乗り込んだ電車のトイレが封鎖されている


大阪線、名古屋線ではしばしばこれがあります。

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急行型電車で運用される普通列車、準急列車については、

数年前に発生した車両備え付けのトイレへの放火事件の影響により、

トイレが使用できないことが多いです。


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発展版としては、「そもそも乗り込んだ列車にトイレがない」

ことです。

因みに青山町~上本町を走る急行の一部はトイレがありません。



2、乗った列車が何気にレア

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皆さんも経験あるでしょう。

例えば、奈良線の石切行き準急、京都線の宮津行き急行、山田線の宮町停車急行等々
挙げればきりがありません。


因みに主は、今まで以下のレアな列車には遭遇できてません。
*遭遇できる範囲で

宇治山田始発白塚行き普通

新田辺行き準急等々



3、乗った車両が実はレア車

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特に同じ姉妹形式の数が多い近鉄。

基本的に大きいグループで形式分けはされているものの、
本当に細かい分類での形式分けを好むファンも多く、

これは本当に極端なものですが、

これを単に1430系1436Fと表記すると、

こいつは1436系1436Fで云々~

という書き込みが見れるかも。


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4、乗った特急のすぐ後ろないしすぐ前の車両の座席が、自分の車両の座席よりも
スペック良さそう


連結運用の多い近鉄。車両運用の都合、どうしても車両面での格差が出てしまいます。

その為、前後の車両の座席が、自分の座席よりも優れていると、

場合によっては羨ましいと思う感情が芽生えることも。





以上、近鉄あるあるでした。


では!



インフルエンザの波に、主は今年も勝てませんでした……。

A型に罹りました。(高校受験前にも罹っており、これで2年連続ですわww)

火曜まで出停がかかっているので、事実上の謹慎です。



余談終わり。


関西地方、高度経済町の時期、首都圏東京と同様、人口増加が都市部では非常に
酷くなってきました。


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それ以前から、関西私鉄では近鉄800系(こいつは元820系で800系とは別形式)など、

戦後日本の鉄道復興を表すかのごとく新性能車両が次々と現れてはいたものの、
そのほとんどは2扉、多くても3扉。

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4扉はあっても架線電圧が1500Vなかったり、

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高性能でも結局吊り掛け駆動だったりと、

やはり車両面の発展は進んでたとはいえ、まだまだ満足しているとは
言い難い状態でした。


一方それは国鉄でも同様で、

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1960年より101系(101系と大体同タイプの103系低運転台で代用)の運転は
始まり、1962年には統一などはあったものの、

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福知山線や山陰線は当時非電化で客レも普通でした。



この状態では、この先増えるであろう需要に到底かなうはずもありません。

求められたのは、
「高性能」且つ「大量輸送」ができること。

要するに、

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特急車両→一部の例外を除きNG

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・片側3扉以上→詰込みしか利かないならNG


の状態でした。


さらに、架線電圧が低いところは、

後々昇圧を行うときに面倒にならないように、副電圧対応も求められました。


その構想は既に各鉄道会社が共通して持っている認識でもありました。


試作車という観点を外すにせよ、


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先陣を切って登場したのは近鉄6800系。

1957年より運用を開始しました。

*標準軌においては1460系が運用を開始した年でもあります。

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冒頭でも登場した国鉄101系が同年に登場。

同時期には、阪急1300系(初代)が運転を開始。


いずれも他扉で、いずれもカルダン駆動を採用。

通勤に見合った高性能車両が広まり始めます。

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阪神3301(阪神2000系で代用)形が1958年に、

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京阪では、試験的な意味合いの強い高性能車両は続々と導入されていたものの、

最終的に2000系がその慣性系として、

1959年より導入開始。

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現在も全車両が現役で活躍する南海6000系は、1962年より導入が始まりました。



これで通勤需要はどうにかなります。


そして今度は、特急車両のさらなる飛躍に視点を変えます。



次回に続きます。



それでは簡易更新をば。

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レアでも何度も見ているとレアでなくなってくるよね(´・ω・`)


それでは。




三重県の森林の活用として、白羽の矢が立てられた

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伊賀鉄道205F。

それまでは両先頭車が中間改造由来のもの、緑の忍者列車くらいしか特徴のなかった
この車両。昨年の夏ごろから車内改装を始めました。

先月車内改装を終え、運用に復帰しました。


今回は、「木育トレイン」として、一躍伊賀鉄道の人気者となった205Fの車内の
様子をご紹介します。


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車内の全景です。

座席そのものは、改装前から全く変わっていません。

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車両の内壁部分もすべて木材となっています。

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つり革です。

各車両にいくつか、伊賀であることを示す手裏剣をかたどったものが。

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当然、客扱い扉も木材に張り替え。

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さて、主なものを見てきましたが、
他にも細部に渡って装飾が施されているのをご存知でしょうか?

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車番。

伊賀線の車両の車番は

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このようにシールですが、

改装にあたり、車番も木製のものに付け替え。


また、写真はありませんが、ここに写っている製造所の銘板も木製のものに
交換されています。


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他にも、この車両の内部は伊賀をPRするものなど、随所に渡って
木が使用されています。

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基本的に毎日稼働しているので、
ぜひ生まれ変わったこの車両に乗って、

伊賀上野に遊びに来てみてはいかかでしょう?


以上、205Fの車内探訪でした!!



12200系の一部は、集電装置の種類が異なることを、貴方はご存知だろうか?

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では、これを見ていただこう。

某日の605レ。

この列車にはスナックもかなり多く充当されている。


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この日はNS49編成の担当。

今から、2つの写真をお見せするので、比べてみてほしい。


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いくら目をこすっても、きっと同じだろう。



何を隠そう、この車両は現行の4両となる前は、
6両として活躍していたのだ。



ここまで来たら判るだろう。

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この車両みたく、製造年次の異なる車両を組み込んでいるのだ。


しかも、短縮の時に外されたのは、

より経年の言っているはずのS29ではなく、S49。


よって、ああなってしまったのである。




ところで、少し疑問があるのだが、

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12237F。

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こちらは車番が~37と一致しているのにもかかわらず、

集電装置が前後で異なる。



もしこの理由がわかるならば、まだ知識量の少ない主に解説して頂ければ
幸いなものだ。





以上です。


それでは。




本日は恐らくこれだけの投稿となります。

なお、この先ですが、

・伊賀線のとある車両(紹介)

・撮影記の更新

・JRの奮闘(シリーズ?)


を軸にお届けする予定です。



では、本日分を貼っていきますか。

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今回は、更に大雪となった伊賀市。

先日も雪が降りましたが、

今回の規模はそれを上回っていました。






それでは。



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衰退の続く地方鉄道。

地方からの人口流出は高度経済成長期以降、著しいものとなっています。


まだ大都市に直結しているタイプのものならまだ集客できる余地が
残されていますが、

地方の小都市を通る程度の規模の鉄道の場合は、そうはいきません。

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*イメージ

しかし、人口流出を止めるのも無理な話。


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最近のデータですが、
伊賀市の人口、合併前から2000年までは増加傾向にありましたが、
現在では2005年の国勢調査の実施直後に推計人口が10万を割ったのを皮切りに、
現在では推計人口が9万人を割っています。



そんな中、人口減少を止められないのなら、せめて鉄道会社だけでも
活性化させようと、

趣向を凝らしたラッピング(ほかにも要因はありますが)で、
観光目的での利用客の呼び込みに一役買ったところがあります。

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現在では、伊賀市民、特に上野市街地ではもう日常の風景になっている
伊賀鉄道。

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始まったのは1997年。

ここに写っている861-761編成(SE01)が、青ラッピングにおいて
運転を開始しました。

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運転開始当初は、目のサイズが先頭部分には収まりきらず、車体側面まで
伸びていたみたいです。

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なお、866Fもピンクで忍者列車の塗装を施されました。

なお、861Fについてはその直後に緑に塗り替えられ、
目の部分もすらっとコンパクトに。


なお、
これは現在伊賀市において展開されている
「ゆめが丘」*ゆめぽりす伊賀といえば皆さんもお分かりいただけるでしょう。

と呼ばれる新興住宅地の街びらきに伴い、伊賀市(旧上野市)の活性化を
図り、企画されたものです。


地域活性化を目的としたラッピングは、これが発祥ともいわれています。

*もしそうでなくとも、松本零士主導で行ったラッピングはこれが初めてです。


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その精神は、車両が更新された今もなお続いています。



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そしてもう1社、

こちらの方が有名であろう、和歌山電鐵。


こちらは、近鉄から経営移管された伊賀線と同様、南海の路線でした。

移管時期はこちらの方が1年早く、2006年4月です。

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なお、経営移管を前にしてこのお方は既に貴志駅のアイドルとして君臨していました。


あと、これを動物虐待とか抜かすのがいますが、ぜひ伊太祈曽駅で
動物虐待反対とでも叫んでおきなさい。

キャットフード1年分が支給されるのに虐待とはこれ如何に。


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まず経営移管直後の8月にいちご電車、

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翌年にはおもちゃ電車

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そして2009年にたま電車

の3編成が、いずれも水戸岡鋭治氏のデザインにより改造を受けて運転を開始。

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一方、2015年からはうめ星電車も稼働。

たま電車及びおもちゃ電車以外の2本の電車は、

いずれも和歌山の特産品である梅干しとイチゴに脚光を当てたもの。


いずれの車両も、和歌山の「魅力」を前面に押し出したデザインが特徴です。


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一方で、オリジナル塗装が車両更新により無くなってしまった伊賀線とは対照的に、
車両更新を行ってない所以からなのか、まだ南海時代の塗装を施された編成も
2編成存在します。



上記2例は、観光促進までのプロセスは違えど、
いずれも観光客を呼び込む点でいえば非常に成功したといえるでしょう。


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現在廃止が噂されている神戸電鉄粟生線。

沿線の観光地が三木城址など、少数ではありますが、
もしできるのであれば、

粟生線沿線の魅力を一面に押し出して、復活への布石となれば幸いです。


それでは。



簡易更新、やってきます。

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とりあえず貼り逃げします。


では。


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