2017年11月

日本では、少子高齢化社会が徐々に浸透しつつあり、
関西でも例外なくそれが起こっています。


当然、それに合わせたダイヤ改正は必要になります。

だからと言って、列車削減をし続けて地域住民に不便を強いるようなダイヤにしても
意味がありません。


無論、並行しているバス路線があるならばその話は変わってきますが、
それがない場合はなおさらです。



また、時には無駄を省くために改良を少しでも行う必要が生じます。


今回は、そんな事例を主の地元路線から上げてみます。


・近鉄大阪線


近鉄大阪線では、

1978年3月まで、準急が上本町~名張を1時間辺り1本運転し、
区間急行が停車しない三本松を補完していました。


さらに急行が運転されていましたが、こちらも当然三本松は通過。

周辺に住宅が少なく、赤目口や室生口大野よりも乗客が少ないとはいえ、
急ぎで大阪へ出ようにも途中で乗り換えを強いられるなど、
不便なものでした。



種別の調整の結果、

区間急行→布施・三本松を停車駅に加えて、現在の急行へ

急行→快速急行へ名称変更

これに伴い、わざわざ1時間1往復だけ名張まで行っていた準急は全て、
榛原までに短縮となり、一応の効率化を実現しました。




最も、効果が強かったのは最近では、2016年3月のダイヤ変更。

それまで、夜ラッシュは、

快速急行が1時間に3本で、その多くが8両で運転されていました。


それを、以下のように変更しました。

・20時09分出発便をもって、すべて急行に格下げ。

・快速急行・急行共に15分ヘッドで運転。



これ以前のダイヤでは8両が3本の、24両確保していました(快速急行のみ)

それを、

夕方は8両の快速急行4本なので、実質増便に加えて増車されました。

さらに、急行格下げに伴う救済措置も行われました。

それまでは快速急行が1時間に3本なっだ所、


現在は6両が4本で実質的に本数以外変わらず。


効率化もそうですが、合理化に大きな役目を果たしました。



次回は、間合い運用の様子を見て回ります。


では。




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この画像だけで、ピンとくるひとも多いはず。

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「は?何言ってんだこいつ」

と思ったそこのあなた。



こちらの画像をご覧ください。


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同一車両の台車部分です。

ここでお気づきの人、正解です。


分らなかった人は、こちらと比較してみてください。

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これでようやくお分かりいただけたでしょう。

そう、台車の形状がまるっきり違いますね。



ビスタ二世と呼ばれていた10100系の台車を流用している2000系のうち、

2001・2003の2編成は、
ベローズ式と呼ばれる空気バネを装備したKD-41型シュリーレン台車を装着。


3枚目のダイヤフラム式空気バネを装備した台車がシュリーレン型台車の中で
大勢を占める中、現在ベローズ式の台車を使用した車両は非常に少なく、

近鉄ではかなり貴重な存在のようです。


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金属ばねを装備する編成の方が多いと主は考えていますが、その辺は
どうなのでしょう?


それでは。


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8000系のB編成といえば、現在はB78・79の2本だけになってしまいました。

その立ち位置は、かなり微妙なものとなっており、
それが故で、この2本は片方が検査・更新しない限り、
ほぼ通年ペアを組んで運用に就いています。


その理由は…

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まず1つ目:阪神に直通できない

これは、多くの編成が抱えている共通の理由です。


これともう一つはそこまで強くは作用しませんが、阪神伊直通できないことで
運用上の制約が出てしまいます。


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理由2つ目:烏丸線に直通できない。

これは3200系や3220系しか直通しないこともあり、さして
影響は大きくありません。


大きいのはこの次です。

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理由3つ目:ワンマン運転ができない。

一番大きいです。

ワンマン運転が可能な「8400系」のB編成は、

ある程度の運用の制約は出るものの、運用可能な路線が8000系に比べ多く、

3両単独での運用が可能です。



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一方こちらは、3両単独での運転が不可能(田原本線以外は4両以上が基本)なので、

基本的にこの運用でしか見ることができません。

・京都~橿原神宮前
・京都~奈良
・大阪難波~奈良

上2つでは基本急行で、

一番下の系統は、殆どが普通か準急などにしか就くことができません。


後ろに2両・4両の車両がつながれば話は違いますけどね…。

見る限りでは、難波線・奈良線で急行運用に充当されている所を
目撃したことは一度もありません。



ワンマン運転ができれば田原本線で単独走行も出来るんですけどね…




そして、もう一つ不遇な扱いを受けている3両編成がいます。


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2430系G編成(高安所属)です。

こちらは4編成在籍しており、こちらも3+3で、組成を変えながら
青山町~大阪上本町の区間だけを行ったり来たりしています。


扱いはこちらの方がさらに不遇です。

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理由:大阪線には、奇数編成の運用が無い。


大阪線区では、支線の信貴線含め、奇数編成での列車運転が設定されていません。
以前は準急運用の一部で3両運転も実施されており、
この車両も多く充当されていましたが、1990年の3両運転中止に伴い、
大半が富吉へ転属。

その後、何度か組成変更を経て、現在の体制になりました。

しかし、大阪線の3両運転は現在も再開されていません。

その為、こちらも3+3の6両を基本とした運用にしか就くことができません。


挙句の果て、富吉所属になった編成は現在も単独で走行する機会が多く、
6両に半強制的に固定された彼らは、
8000系B編成同様不遇な扱いが際立ちます。





大人の都合で車両が振り回されるのはよくある話ですが、
彼らもその餌食となってしまったのです…。





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さて、かなり前に投稿し、好評(?)を得てきた「関西私鉄輸送革命」シリーズ。

今回から、次世代へ向けたメッセージへつなげる形で、
「続・関西私鉄輸送革命」シリーズを書き連ねていきます。


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時は1989年。平成に入った関西私鉄の多くでは、

朝晩に長大編成を頻発させたり、近郊区間の需要増加に伴う列車本数の増加などを
行っていました。

しかし、まだ平成に入ったばかり。車両の多くは抵抗制御が基本。

電気代もバカになりません。


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このころになると、

・界磁チョッパ制御
・GTO-VVVFインバータ制御

の車両が少しずつ増え始め、ある程度電気消費量が減っていることも
事実でしたが、それでも抵抗制御が幅を利かせる関西私鉄では、
その効果もかなり限定的でした。


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さらに、GTO素子はその機構がかなり複雑で、保守が若干面倒という
難点がありました。

果ては、GTO素子特有の静粛性の難点というものがあります。

特に起動時はそれが顕著に表れているのがお分かりいただけると思います。



そこで鉄道会社は、どうすれば静粛性を確保できるか、
再び技術革新に乗り出します。


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その走りは、近鉄でした。

1996年6月より、南大阪線用の新型特急車両として、
22000系と同車体の16400系を導入。

関西私鉄において、初めてIGBT-VVVFインバータ制御を採用しました。

・回路の一部簡略化により保守が容易に
・GTO素子より静粛性が確保できる



この2点に他の鉄道会社も惹かれたのか、

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1997年には、京阪が京津線路線改良に合わせ、地下鉄直通対応の800系を導入。

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同じ年には、山陽電鉄が5030系でIGBTを採用しました。



その後、しばらくIGBT素子の新車はしばらく導入されなかったものの、

2000年代に入ると、その動きが活発化しました。


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2000年には近鉄で「シリーズ21」と呼ばれる次世代タイプの
通勤車両を奈良地区を中心に導入。



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2001年には南海電鉄で初のIGBT車となる1000系1051Fを導入。

純電気ブレーキが採用されました。

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2002年には、京阪本線側でIGBTを搭載した10000系が導入されました。

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2003年には、阪急で初のIGBT車9300系が導入。

6300系を特急運用から撤退させ、特急の115㎞/h運転統一に貢献しました。

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かなり遅れて、2007年に、阪神初のIGBT車1000系が運用開始。

阪神の旧式高性能車両の置き換えに尽力しました。

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2008年には、神戸電鉄でIGBT車が登場しました。


抵抗制御やGTO素子の車輛と比べると少数勢力の多いIGBTですが、

それをいち早く導入し、普及に一役買った近鉄と京阪、山陽には
先見の明があったといっても過言ではないでしょう。

この先は電気消費量以上に、騒音に関しても配慮が必要であるという要求に
見事答えたIGBT素子に、賛辞を送ってやみません。




次回は、輸送の効率化の面から見ていきたいと思います。

それでは。





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2日続いて、台風絡みです。

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今回は南海本線から。



南海本線では、樽井~尾崎駅間に設置された男里川橋梁が、
台風に伴う水量増加により橋脚が損傷。




橋も沈み、その上を普通車が走行。車両と線路が何れも損傷しました。


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現在は、橋梁の仮補修が進み、列車も
11月1日から和歌山市~なんばの直通運転を再開。

さらに最近になり、普通車が15分1本に増便。
急行運転も再開されました。

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一方で、サザンは運転を現在も休止しています。


上り線の線路を使用して、逆相運転をしているので、技術的には可能です。

しかし、編成的な意味でできないことがあります。


それは、サザンの編成にあります。


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サザンは、和歌山方から指定席車4両と自由席車4両の8両編成です。


そして、事故のあった男里川橋梁を挟んで、樽井駅と尾崎駅があります。


尾崎駅は、サザン停車駅なので、8両対応です。

樽井駅はというと…

最大6両までです。

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羽倉崎駅以南の区間急行までの列車の停車駅は6両対応となっており、樽井駅も
その一つです。

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樽井駅では、本来通過する急行も一旦運転停車を行っており、
もし運転再開するとなれば、サザンも運転停車を行う必要があります。

しかし、8両に樽井駅のホームが対応していないとなると、
運転停車をしようにも少し難しいのでしょう。


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そのため、指定席車の4両は現在、泉北ライナーの代走にも入らないことから、
定期運用を完全に外れており、

いわば二―トレイン状態なわけです。


彼らも好きでなっているわけじゃないので、動けないことへの辛さは
わかってやりたいと思うのが正直なところです。


では!




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ついに、運用開始から70周年を迎えた名阪特急。

連合軍総司令部の統治下にありながら、
いち早く特急輸送の復活を求めた近鉄本部。


何度も拒否されながらも、1947年の運転開始にこぎつけ以後、

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東海道新幹線の開業や、高速道路網の整備、更にノンストップの廃止など、
多くの苦難を乗り越えてきた名阪特急。


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今までの近鉄特急の車両の定石を打ち壊した21000系の登場は、
私たち近鉄ファンのみならず、多くの鉄道ファンに衝撃を与えたことでしょう。


これも、近鉄が特急運用に心血を注いできたからできたことです。


さぁ次の10年へ、いざ走りゆかむ。






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今日は朝から課外学習で、始発から3本目の電車に乗っていますw

てなわけで、貼ります。

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5分前に撮ったやつですw
正しく産地直送っすねwww

それでは。

鉄道コムhttps://www.tetsudo.com/

ブログ村https://railroad.blogmura.com/railroad_kansai/

10月22日に、近畿に、その強い勢力を維持したまま接近した台風21号。

鉄道網に多大な影響を及ぼし、現在も以下の区間などで影響が残っています。

・運休

関西本線亀山~柘植

南海高野線高野下~極楽橋


・本数減便

近鉄生駒線

南海本線


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今回は、近鉄生駒線から。


生駒線は、勢野北口~竜田川の区間で線路際の盛土が崩落。

そこには住宅が建っていたことで、住宅数軒が危険宅地と判断され、

居住が不可能になりました。



一方の生駒線も東山~王寺の区間が23・24日の終日運転を見合わせ。

線路上の土砂の撤去作業をいち早く行ったことから、

25日の夕刻から再開したものの、現在も再度崩落の可能性があることから、

列車は速度を落とさざるを得ず、ダイヤへの影響が非常に大きいことから、

11月に入り減便ダイヤを設定せざるを得ない事態になりました。





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今、被害に遭った住宅と近鉄、更に行政が少しもめています。


今回崩落した場所は、現在は事業停止した会社が造成した新興住宅地に
当たる区画で、造成当初、果ては施工段階で不十分な部分があったと指摘する
専門家もいます。


近鉄の対応です。

近鉄「線路区画にそちらの土砂が崩れてきたんで、本来ならそちらが工事費用を
出していただくのが筋ですが、今回は台風という事情もあるので、こちらが何とかします。そちらの負担は必要ありません。ただ、不測の事態があるかもしれないのでご承知おきください」


これに対し、住民が「家が崩落しても文句言っちゃいけないのか」と憤慨。

現地調査を要求します。

住民説明会でも解決の糸口が見えないまま、

奈良県も同意。つい数日前、実際に現地調査が行われました。




非常に簡潔にまとめたので、一部誤りがある可能性もありますが、
ご了承ください。




今回の事案について、思うことが少しあります。

それは、住民の要求が理にかなったものか?
ということです。

住民も一人の被災者であることは確かです。このまま家の取り壊しだと納得いかない
のも理解できます。

その一方、崩落の危険性を考えなかったのでしょうか?

考えたものであれば理にかない、考えたものでなければ理にかなわぬものになります。

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もちろんそうだとしても、生駒線の長期間の不通、徐行、減便は、住民以上に
乗客が迷惑を被ります。

それを考えると、今回の要求は理にかなうものとは到底思えません。

利用者は、何としてもこの状況を何とかしてほしい
と思っているはずです。



大きな被害を出した台風21号は、新しい争いの火種を落として
去って行ったのでした…








最近カメラの調子が落ちてきまして…

どうしたものかと悩んでいる最中です。


部活の方でも主要メンバーになっており、より一層多忙を極めています。

それでは1枚行きましょう。

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このころは中2で、高校受験のことなどほとんど頭になく…

たまに修学旅行を思い出すと、路面電車のことしか浮かんできません()


それでは。


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なにわ筋線でいずれ息を吹き返すのではないか?
という予測も立てられていた南海高野線汐見橋支線。


しかし、現実は非情でした。


2011年の運輸局調査の時点で、汐見橋線経由では黒字化達成は困難といわれ、
ある程度絶望的な状況には
なっていましたが、まだ確定ではなかったため、僅かな希望がありました。

かつての栄華を取り戻すという。




なにわ筋線計画は、25年以上も前から始まっており、

1990年の時点では、汐見橋線経由の可能性を以下のように示していました。

汐見橋線経由の場合、汐見橋・芦原町の2駅を地下化して、路線を移設する。

当初、こちらの案に力を入れていたようです。


しかし、今年3月、報道各社が、
JR・南海がなにわ筋線を「南海なんば」経由で建設する覚書を交わしたと一斉に
発信。

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もしこれが事実であった場合、汐見橋線にとっては殆ど死刑を宣告されたような
ものです。


現在は完全に盲腸線と化した汐見橋線。

1時間2本で、大阪市内で始発が遅く、最終が早い路線として
現在も運転されています。

大阪のミナミの下町を2両の車両が
のそのそと走る姿は、いつみてもどこか昭和の雰囲気を醸し出してくれます。

鉄道ファンの見地としては、残っていてほしい

というのが本心ですが、需要がこちらに向かないとなると
さらに存続は難しくなるな…

とネガティブに考えてしまいます。


この先の汐見橋線は、いったいどのような道を歩むのでしょうか。






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