2020年06月

当駅始発とは、ある駅がその列車の始発駅であること、
当駅止まりとは、ある駅がその列車の終着駅であることを指します。

しかしながら一言でそうはいってもいくつかのパターンがあります。

今回はそれをいくつか例を挙げつつ解説したいと思います。



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当駅始発・当駅止まりのパターン①…夜間滞泊由来・車庫または引き上げ線の出入庫

よく見られる駅…

近鉄…大阪難波・青山町・名張・高安・東花園・生駒・大和西大寺・新田辺・尺土・古市・藤井寺等
南海…それほど見られない(しいて和歌山市・三日市町・橋本、回送込みなら住之江)
京阪…萱島・枚方市・びわ湖浜大津など
阪急…西宮北口・雲雀丘花屋敷・高槻市など
阪神…尼崎・西宮・高速神戸
山陽…須磨浦公園
神鉄…鈴蘭台
JR西…久宝寺・京橋・天王寺・京都・桜島など
大メ…天神橋筋六丁目・新大阪・天王寺・コスモスクエアなど



車庫が併設されている駅や、
引き上げ線が併設されている駅ではこのパターンが殆どです。


特に車庫が併設されている駅の場合、早朝やラッシュ時間帯が近づくと、
車庫から数多くの出庫便と呼ばれる列車が数多く運転されます。


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当駅始発・当駅止まりのパターン② 終着駅での折り返し

頭端式ホーム(先端が行き止まり)を持つ駅、或いは支線の列車が
島式ホームの待避線を使用しての折り返しがよく見られます。

これも例を挙げるときりがないです。


近鉄…大阪上本町・河内山本・賢島・名古屋・四日市・京都・大阪阿部野橋など
南海…難波・和歌山市・橋本・極楽橋・関西空港など
京阪…淀屋橋・中之島・出町柳・坂本比叡山口・石山寺など
阪急…梅田・神戸三宮・新開地・宝塚・西宮北口・河原町・北千里など
阪神…梅田・神戸三宮・武庫川・武庫川団地前
山陽…山陽姫路・山陽網干など
神鉄…新開地・神鉄三田・ウッディタウン中央・有馬温泉など
JR西…王寺・奈良・京都・高田・和歌山・新大阪・姫路など
大メ…天下茶屋・なかもず・西梅田・大日・八尾南など


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当駅始発・当駅止まりのパターン③回送などで送り込み

車庫から出庫する、あるいは別の終着駅まで1列車として運転された後、
別の駅まで回送されてそこからまた別の1列車として運転するパターンです。


これが見られるパターンはかなり限られます。

近鉄…五位堂(八木から回送で上本町行き)・四日市(塩浜から回送で名古屋行き)など
南海…岸里玉出・羽衣(住之江から回送)・みさき公園(和歌山市から回送)
京阪…不明
阪急…武庫之荘・川西能勢口・洛西口(いずれも回送で梅田行き)・相川・淡路(天下茶屋行き)など
阪神…御影(回送から梅田行き)
山陽…山陽須磨(回送から姫路行き)
神鉄…不明
JR西…京都(向日町から回送で湖西線普通)・大阪(宮原から回送で東海道線特急など)


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当駅始発・当駅止まりのパターン④…ある駅を境に列車の属性を変更する

所謂化け運用。
よくあるのはある種別の端点で別の種別に切り替わるというものです。
JRでは種別と列車番号だけ変えて行先を変更しないものもあります。


近鉄…名張(普通→区間準急、急行→快速急行など)・橿原神宮前(区間急行→普通)
   四日市(普通⇔準急)など
南海…不明(存在しない?)
京阪…三条(特急→普通。現ダイヤでは知らない)
阪急…不明(存在しない?)
阪神…尼崎(普通→快速急行など)など
山陽…霞ヶ丘(普通車→S特急)
神鉄…存在しない?
JR西…奈良(大和路線普通→奈良線快速)など
大メ…不明(存在しない?)



少なくともこの4パターンに分類すると、
非常に整理しやすいかと思います。

不明と書いたものは少なくとも存在自体を管理人が知らないだけですので、
「〇〇のパターンは存在する」というのであれば、具体的事例も示したうえで
ぜひコメント送っていただけると幸いです。

それでは。


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巷で緊急事態宣言の発出及び自粛が医療崩壊を何とか防いだと話題の
新型コロナウイルス。

この医療崩壊に関して考えてみます。

まずは単語を分けて調べてみましょう。


医療…医術による治療を受けること
崩壊…こわれること

*出典:学研現代新国語辞典


つまり、医術による治療等が受けられなくなることが
医療崩壊のそもそもの意味です。




この医療崩壊、人々によって受け取られ方が違います。


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大半の国民は、1月から2月にかけてのイタリア北部やニューヨーク州のように、
病院の廊下に大量の病床があふれ、その結果死傷者が多発するというように考えています。
これは特に朝のワイドショー等で報じられ、一時期は管理人自身も恐怖感を覚えました。

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一方、一部の方は、医療崩壊を必要な医療行為を受けるのを躊躇、あるいは病院の
判断により受けられない結果、コロナウイルス以外での死者が数多く増えてしまうと
いうように考えています。


現在の私自身の立場としては後者の考え方が強いという前提の下で話を進めます。
*以前は自粛はすべきという考え方でした。後々実データを見るにつれて
現在に至ります。


そもそも必要な医療行為を自粛するのでしょうか?

これは新型コロナウイルスの感染症法の規定が関わっています。

新型コロナウイルス感染症は今年の1月末、感染症法第7条の規定により
少なくとも1年間(場合によっては1年間以内の延長、或いは短縮も可能)、
「指定感染症」として、第2類感染症に準ずる扱いを受けています。


感染症にも第1~5類が存在し、特に馴染のあるインフルエンザ感染症は
第5類感染症として、普通の町医者でも受診が可能なものです。


一方第1・2類クラスになってくると検査・入院隔離等を専用施設
(感染症指定医療機関といえば伝わりやすいかと思います)等で行う必要性が出てきます。

特に入院に関しては感染症法第19・20条に規定されているものです。
但しやむを得ない事情がある場合に限り、それ以外での入院・隔離等が可能とされています。
宿泊施設での療養がそれにあたります。


この第1・2類指定感染症はかなり致死率が高いもので、代表例としてはエボラ出血熱、
結核、SARS、MERSなどが挙げられます。



しかし、これだけでは必要な医療行為を躊躇する理由は見当たりません。
それに一役買ってくれたのがテレビのワイドショーです。



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ワイドショーは便利なもので、殆どその道とは関係のない、言論だけは
説得力があるコメンテーターを招聘し、そして国内外における深刻な映像を
放映し、コメンテーターがそれに不安を煽るようなコメントをするだけで
多くの国民を恐怖感に陥れることができます。

しかも物事を全体としてとらえるのではなく、一部だけを切り取って
(ここでは病床が病棟の廊下にまであふれる状況)それが全体の
状況となるように印象付けることができるのもワイドショー特有の
強さと言えるでしょう。


勿論、ワイドショーの全てがそうとは言いませんし、内容によっては
物事を考えるうえでも参考になるものもあります。


しかし、コロナウイルス感染症関連ではほぼ上述のような形になりました。

そしてそれに追随する形での外出自粛要請。
勿論これは国内の感染者が増加傾向にあったがための措置であることは承知であったため、
不満は残りますが成功・失敗に関しては明言しませんが。


結果多くの国民が

「新型コロナにだけは罹患したくない」
「罹患したら必ず死ぬ」
「病院では面倒を見切れなくなる」


というように新型コロナそのものに対する恐怖感に駆られ、
外出そのものを控えるようになりました。


これにより必要な医療行為の自粛
(予防接種の減少など。厚労省や日本小児医学会は接種を推奨していますが)にも
つながりました。
*もちろんこれのおかげで不用意な受診が減少したことはいいことではありますが



実際、小児科医院などでは病院経営が圧迫されているという話も流れています。


これは平成31年時点でのデータ(厚労省公表)ですが、

普通の病院の数は8327(有床診療所を除く)で、
感染症指定医療機関は特定・第1種・第2種合わせて410。
これは普通の病院に対して約5%の割合です(ほとんどの人は恐らくここが満床になり
新型コロナの治療が受けられない→医療崩壊という捉え方ではないかと推測します)。

*病床の数はコロナ関連で増床され、5月時点で約16,500床まで増床


新型コロナウイルスでは一部の例外を除いて指定医療機関以外での
入院はできない(もしかしたら増床分で指定医療機関以外も使用しているのかもしれませんが)こと、
コロナウイルスに対する恐怖感からの受診控え、これが大元にあると言われています。


この状況が続くと、診療所の経営破綻に繋がりかねず、
結果として必要な医療行為そのものを受けられる場所が減少

その数が増えれば増えるほどそれは深刻に

新型コロナ以外での疾病による死者数の増加


よって医療崩壊に至る、というのが一部の方の考え方です。


新型コロナを回避することだけに意識が集中した結果、
必要な医療が受けられない事態になればそれこそ本末転倒だとは思いませんか?





また、よくよく調べてみると新型コロナウイルス感染症の主な症状は

発熱・空咳・倦怠感などであり、症状が重いと肺炎になるとのこと。


特に重くなりやすいのは

・生活習慣病(糖尿病・高血圧等)といった疾患を抱えている者
・高齢者

で、あくまで日本の中だけに限定すれば従来からあるヒトコロナウイルスが
深刻度を増したものと考えれば、過度に恐れる必要性というのは見当たりません。

従来のヒトコロナウイルスでも、特に高齢者は肺炎に悪化するケースは
よくあることです。


しかもこのウイルスの質が悪いところは、無自覚感染者(無症状)、軽症者が
大半を占めることです。原則としてこれらの患者に対しても隔離(自宅療養や
宿泊療養含む)されなければならないため、それだけでも病床は埋まります。



また、治療薬や有効なワクチンがないのもヒトコロナウイルスと共通しています。

これでも恐怖心を抱き続けますか?


一方、ウイルスを多数のものに伝播させるスーパースプレッターと呼ばれる者が
いることで感染拡大が起こることも示唆されており、その点で言えば注意するべき感染症
であるという考え方に至るのであればそれは決して間違ってないとも言います。



この注意を怠らない上で通常通りの生活を送ること
それこそが「withコロナ」ではないでしょうか?


その為には、この指定感染症という枠組みはどこかのタイミングで
解除、そして第5類指定感染症に区分する必要が出てきます。

より多くの情報を得て、コロナに対する考え方を改める。
それが本来、情報化社会に生きる私たちにできることではないでしょうか?
それをある程度具現化したのが新しい生活様式ではないかと思いますがどうでしょう?


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阿佐海岸鉄道、および四国旅客鉄道牟岐線の阿波海南駅から甲浦駅までの区間が、
間もなくDMV化されます。

DMVとはデュアルモードビークル(DualModeVehicle)の頭文字を取ったもので、
鉄道用の線路と自動車用道路のどちらとも走行できる車両のことを言います。

保線機械で言う軌陸車を想像していただけると、イメージは伝わりやすいかと思います。


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これによって鉄道が通っていない甲浦から室戸岬の区間が、土日限定ながら乗り換えなしで
行くことができるようになるなどの利便性向上が期待されますが、
その裏では引退する車両も当然います。

画像のASA101形とASA301形です。

阿佐海岸鉄道が保有する数少ない鉄道車両ですが、
DMV化に伴いその役目を終えることとなります。



しかしながら、これらの車両は何れも製造から30年程度しか経過しておらず、
十分にこれからも走行できるだけの耐久性はあるはず。



では仮にこれらの車両を他社が受け入れるとして、どこが受け入れるでしょうか?



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無論、非電化のローカル線ほど譲渡先としては考えやすいでしょう。


四国内では阿佐海岸鉄道の他、土佐くろしお鉄道が該当します。

特にASA-101はトイレの有無などを除けば、土佐くろしお鉄道TKT8000形と仕様がほぼ同じです。


勿論、それ以外への譲渡も可能性として十分に考えられますし、
廃車の可能性だって否定はできません。



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そんな阿佐海岸鉄道ですが、このように海部駅でJR四国の車両との
並びをみれるのも残りわずかな期間しか残されていません。


特に阿波海南~海部間の運転最終日が近づいてくると
混雑が予想されますので、訪問の際は注意しつつ、
一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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車両更新。平たく言えば新型車両の登場や、新製から一定年数経過して設備面で
陳腐化した古い車両を、新しい世代に近くなるよう装いを変えること、或いは
それまで採用されてこなかった新しい形態のものに変えることを言います。


リニューアル工事、JR西日本だと体質改善車として40Nや、N40更新工事を受けた
103・201・113系等がそれにあたります。



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当然ながら阪急電鉄でも同じようなことを行っています。

例えばこちら7300系。

元の制御装置は界磁チョッパ制御で、
側面窓の縦幅は客用扉・乗務員扉にあるものを含めてほぼ同じ大きさです。
*乗務員扉は若干小さいですが


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一方の更新車。

客用扉の窓の大きさ・貫通扉の窓の面積・クーラーキセの交換・窓の材質の変化・車番位置の変更
CIの位置変更
が一目でわかるかと思います。

この他、この編成は従来の界磁チョッパ制御からIGBT-VVVFインバータ制御に。
主電動機もかご型三相誘導電動機(VVVF車では普通にみられる主電動機)に
乗せ換えられました。

この他ドアエンジンの交換・LCD液晶ディスプレイがドア上に設置などを施工されました。


更新工事を行うにあたっては、殆どの場合各編成に施工するにしたがって、
内装の細かい部分で変更がなされる場合が非常に多いですが、殆どの場合、
外観はあまり大差のないことが多いです。


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しかし、ここの場合は内装はおろか、外観の変更も激しい車両がいます。
先ほどの7300系と、その姉妹車種の7000系が該当します。
特に7000系は原型に近い車両からかけ離れた車両まで、少なくとも4つの形態があります。


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A,外見がほぼ原形のままのタイプ

画像の編成含め、4編成が該当します。


施工時期が異なり、7000Fはドアエンジンの交換はされておらず、
3300系や5300系とほぼ同じような挙動。

一方7009Fは7322Fと同じ挙動をします。

また、CIの位置は7000Fでは変更されていませんが、
7009Fでは変更されているのがポイント。



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B,5000系リニューアル車に似せた顔

7009Fと比較して側面に大幅な変更は加えられていませんが、
前面の車番位置が変わっています。

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5000系リニューアル車を若干ながら彷彿とさせますね。

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C,5000系リニューアル車とほぼ一致するタイプ

前面が種別灯の差異を除いてほぼ5000系リニューアル後の顔面と
ほぼ同じ形態になりました。

制御装置及び主電動機が、この形態において交換されています。


現在リニューアルを実施している7000系の形態はほぼこの形態です。


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D,原型が殆どわからない特殊形態

1000系にも、5000系リニューアル車にも通じるものがある特殊なデザイン。

行先表示幕はフルカラーLEDに交換され、種別灯も形状が変更されています。


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特に屋根側は1000系に近い印象があります。


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一方で下半分は5000系リニューアル車に見えなくもありません。



以前、この形態は1000系の原型ではないかと考えたことがありますが、
車体形状を見る限り1000系と5000系を足して2で割ったような印象を受けます。



この形態では主電動機・制御装置の交換は行われていません。



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殆どの車両で形態が揃えられる車体更新。

何故7000・7300系はこうも形態変更を繰り返したのでしょうか?


7000系の更新工事は2009年から始まり、現在に至るまで続いています。
1形式あたりの製造数が多く、それに対して10年以上も更新工事を
行う会社はJR・東武を除けば殆どないのではないでしょうか。

そのなかで改良を加えることは珍しくなく、東武8000系も何度か
更新形態を変更していたようですが、殆どは前面の形状の方向幕の部分が
幕式のままかLEDに交換されているかといった、細かいところでの変更だったようです。



何故7007・7008・7320の3編成はあのような形になっておきながら
他の編成では7000の原型が見えてくるのか…


何があったんでしょうかね????


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取り敢えずネタ欠乏症がいまだに続いているので。
今回は、行先幕にみる地名の由来に関して、軽く調べてみることにしました。


今回は近畿日本鉄道から。

大阪線の行先から見ることにします。


運転されている行先は次の通りです(大阪線内)


・大阪上本町
・高安
・河内国分
・五位堂
・大和八木
・大和朝倉
・榛原
・名張
・青山町
・東青山
・伊勢中川


これらに関して、軽く調べてみました。

今回は、このうち榛原までの行先についてまとめております。


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大阪上本町


諸説ありますが、上本町YUFURA(https://www.yufura.jp/uehonmachi/past.html
公式によると、上町台地の中心部に位置したことから上本町と名付けられたとあります。

ここで言う「本」とは、日本の城によく見られる本丸御殿のように、
「~の中心」という意味合いです。

一時期日本(とはいっても現在の日本の領土とは大きく異なりますが)統治を
行う難波宮が付近に置かれていました。


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高安

確定した情報ではなく、あくまで調べた範囲ではありますが、
高安という地名そのものは現在の八尾市から奈良県西部にかけて
広まった地名だったようです。


渡来人に由来するとも言われています。

663年の白村江の戦で新羅に敗北した中大兄皇子が、ヤマト政権の
最終防衛線と称して高安山に高安城を築いたとされ、
その氏族に高安氏が存在し、それが由来になったのではないかと言われています。

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河内国分

国分という表記から大方想像がつきますが、

河内国分寺が付近に置かれていたことに端を発します。


国分寺という地名が東京にありますが、それも同じです。

聖武天皇が国内の鎮護を目的に、一国に一寺建立を命じたため設置されました。
*蛇足ですが、伊賀市にも伊賀国分寺が存在しました。


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五位堂

香芝市公式サイト(https://www.city.kashiba.lg.jp/shisei/0000000824.html
によると、大伴金村(古墳時代の有力豪族の一人)の末裔、五位殿某(名前不明)が
この場所にゆかりがあり、このうち「五位殿」の部分が鈍って現在の地名になったとか。


その他、五位殿寶樹寺(http://hojuji.sakura.ne.jp/)によると、五位殿のお堂が地名の由来に
なったのではないかとも言われており、諸説あります。


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大和八木

地名の由来がバチっと書いてある史料は見当たりませんでしたが、
現在の駅とよく似た、交通の要衝ではあったようです。

奈良盆地を東西に縦貫する横大路と、南北に縦貫する下ツ道
(平城京付近から藤原京まで延びる幹線だったらしい)が交差することもあり、
人の往来は昔からあったそうな。


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大和朝倉

こちらも具体的な資料は見当たりませんでした。

校倉造の倉庫から来た説、初瀬渓谷の入り口を意味する地形に由来する説
等があげられていますが、定かではないようです。



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榛原

日本書紀において榛原(はりはら)という読み方で既に存在します。
榛の木(はんのき)を切り開いたことから榛原というそうな。




本来であればもう少し深いとこまで、それも図書館に行って情報を拾ってくるのが
望ましいんでしょうが…何分今思い付きで書いたネタなので粗雑なのはお許しください。


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3月に運行開始し、アーバン運用を置き換えるひのとり。

アーバンは汎用車の運用を置き換えているため、その玉突きでスナックカーの
撤退が進んでいます。

ダイヤ変更直前に八尾で記録した編成に、


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NS46,NS45,NS39がありますが、このうち現在も運用が残るのはNS39のみ。


45に関しては既に解体搬出、46は米野で廃車前提の疎開留置をしているとか。


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変更前最後の602レに充当されたNS36編成も、一時期名張に疎開され、
先日搬出。



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おもえば、スナックの廃車再開はNS38の1月末が最初でしたが、
ダイヤ変更を境に急速にその数を減らし、そしてひのとりの増便に伴い
更にその数を減らすことに。


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さて、この車両の引退が意味することはすなわち、10000系ビスタカーの時代から
続いてきた2代目の近鉄特急塗装の終焉です。



現在運行中の12200系は少なくとも

4両編成…6本(34・39・49・50・51・56)
2両編成…2本(53・54)


の28両で、NS38の廃車まで続いてきた74両体制から一気に46両も
運用離脱・廃車となり、見られる機会が大幅に減少しました。



今のところひのとりが新たに搬入されたという情報は入ってきていないので、
当面はこの体制となりそうです。

*但し休車中の奴がいきなり降って湧いてくる可能性も否定できないので
断言はしません。

いずれにしても一気に寂しくなりそうですね…。

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103系。未だに生き残る国鉄の偉大なる骨董品。

先日、奈良所属のNS407編成が吹田総合車両所を出場してきたとのことで…

まだ在籍する理由はさておき、この車両が登場した年を考えると、
一部の車両は既に登場から50年経過していても何らおかしくはないはずっ!


ということで、現在近畿地区で運行されている103系の車歴を調べてみることにします。



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まずは奈良地区から。

現在奈良に残るのは先ほど紹介したNS407の他、NS409があります。
この4両2本のみが残ります。



其々の編成表を見てみます。

NS407

クハ103-216-モハ102-614ーモハ103-458ークハ103-215

クハのペアは1973年に落成し、新製配置は池袋。
1974年に高槻に転属、東海道線で10年程度活躍し、日根野へ転属。
現在の所属となったのは1985年のこと。

山手線のATC化に伴い早々に転出したそうな。

モハユニットは1974年に近畿車両で製造され、高槻に新製配置。
クハのペアと同時に日根野へ転属しているので、この時点ですでに
編成を組んでいたということでしょうか。


NS409

クハ103-225ーモハ102-611-モハ103-455-クハ103-226


NS407と同じ動きを辿っており、先頭車は1973年落成で新製配置は池袋。
1974年に高槻へ転属。
中間のモハユニットは1974年に落成で新製配置は高槻。

1983年に日根野へ同時に転属しているので、こちらもこのタイミングで
現在の組成がほぼ出来上がったのでしょう。


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よって実働期間は46~47年で、最早生ける現代化石と言ってもいいかもしれない
近鉄2410系や南海6000系よりも普通に新しいですね。



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続いて和田岬線。

現在運行されているのは1編成のみです。

R1

クハ103-254-モハ102-553-モハ103-397-モハ102-545-モハ103-389-クハ103-247


両端のクハは1973年に落成し、森之宮に新製配置。
大阪環状線で活躍後、2001年に網干に転属しました。

和田岬線の電化開始時からこの編成はずっとここが活動範囲ですかね?


モハユニットもすべて1973年に落成し、森之宮に新製配置。


よってここに所属している車両は実働47年なのでこちらも新しい方ですね()


ではこちらはどうでしょうか?

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播但線

9編成所属しています。

BH1

クモハ102-3501-クモハ103-3501

源流をたどると其々、

モハ102-583-モハ103-427

にたどり着きます。


編成数の関係上、所属先の変更云々に関しては省略しますが、
何れも1974年の製造です。

その他も整理しておきます。


BH2

クモハ102-3502(モハ102-636)ークモハ103-3502(モハ103-480)

どちらも1975年明石に新製配置。


BH3

クモハ102-3503(モハ102-641)ークモハ103-3503(モハ103-485)

どちらも1975年高槻に新製配置。

BH4

クモハ102-3504(モハ102-655)ークモハ103-3504(モハ103-499)

どちらも1975年高槻に新製配置。

BH5

クモハ102-3505(モハ102-883)ークモハ103-3505(モハ103-727)

どちらも1979年に淀川に新製配置。
*淀川電車区は片町線車両が配置されていた電車区で、初代は1985年に廃止。

BH6

クモハ102-3506(モハ102-885)ークモハ103-3506(モハ103-729)

どちらも1979年淀川に新製配置。

BH7

クモハ102-3507(モハ102-2027)ークモハ103-3507(モハ103-770)

どちらも1980年淀川に新製配置。

BH8

クモハ102-3508(モハ102-2029)ークモハ103-3508(モハ103-772)

どちらも1980年淀川に新製配置。

BH9

クモハ102-3509(モハ102-2037)ークモハ103-3509(モハ103-780)

モハ102-2037は1980年宮原に新製配置。
モハ103-780は1981年に同上へ新製配置。


車歴を見た範囲では、1974~1981年製造とまちまちですが、
1960年代の落成は皆無でした。


さて、画像はありませんが加古川線も見ておきましょう。

加古川線は2両8編成の103系が存在します。


M1

クモハ102-3551(モハ102-815)-クモハ103-3551(モハ103-659)

M2

クモハ102-3552(モハ102-816)-クモハ103-3552(モハ103-660)

M3

クモハ102-3553(モハ102-870)-クモハ103-3553(モハ103-714)

M4

クモハ102-3554(モハ102-871)-クモハ103-3554(モハ103-715)

M5

クモハ102-3555(モハ102-882)-クモハ103-3555(モハ103-726)

M6

クモハ102-3556(モハ102-884)-クモハ103-3556(モハ103-728)

M7

クモハ102-3557(モハ102-886)-クモハ103-3557(モハ103-730)

M8

クモハ102-3558(モハ102-887)-クモハ103-3558(モハ103-731)




M1・2…いずれの車両も1978年明石に新製配置。

M3・4…いずれの車両も1979年森ノ宮に新製配置。

M5・6…いずれの車両も1979年淀川に新製配置。

M7・8…いずれの車両も1979年森ノ宮に新製配置。

実働期間は41~42年程度。





と、いうことでここまで各車両の車歴を見てまいりましたが、
いずれの車両も1970年以降の登場で、意外と新しい。


IMG_3596


中には1980年代に登場した車両もあり、実働40年を迎えていない車両まで。
近鉄1201系とほぼ同じ世代。

如何に103系が大量製造されたのかがわかります。



IMG_7194


だってこいつよりも新しいんだぜ?????(1969年製造)
寧ろこれの方が(ry
どれもこれもMT55の(ry

というよりそれ以前の問題。
西日本の鉄道車両、根本的に古い車両多すぎない…?





とまぁ、最後は適当になってしまいましたが、
西日本に残る103系は意外と新しい車両だった。

という結果になりました。



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IMG_3144

制御車とは、「制御」という文字が示す通り列車の走行・停車を指令する役目のある車両です。

例えばこちら2680系2684Fで言うと、画像の2782号が制御車にあたります。

制御車を表す記号として「ク」というものが存在します。

IMG_3695


その派生版として、制御可能かつ主電動機を搭載した車両を
表す記号に「クモ」が存在します。

こちらの近鉄2610系2621Fで言うと、先頭の2621号がそれにあたります。
(但し近鉄では「クモ」という言い方はせず(*別記事で便宜上使ったことはありますが)、
「モ」だけで識別します。あくまでも例です。)


基本的にこれらの車両は全て1本の編成にまとめられます。


2610系を例にするならば

ク2710-モ2660-サ2760-モ2610

といった感じです。

*サは付随車。基本床下に搭載する機器の数は少ない




そんな中、1本の編成に含まれない付随車のような役割をもつ制御車も存在します。




IMG_0087

IMG_0096

身近な近鉄を例にすると、現在は高安と五位堂で機械扱いで存在する
旧1600系モ1651~1654がそれにあたります。

最もこちらの車両は登場以降の改造によって現れたのですが。

この他には2410系ク2591~2593も含まれます。



基本的にこれらは、既存編成の増結に用いられるのが殆どです。


IMG_7247

現在では、各路線における駅設備の改良(ホーム有効長が延長されて長大編成の
入線が可能になり、わざわざ増結車両を出す必要が無くなった)が進んだことで、
先に挙げた車両は引退、または他車と1編成を組んで定期運用に充当されています。


IMG_9193


その他、乗客の減少が進む地方私鉄でも長編成を組む必要性が無くなったことで、
一畑電車7000系のように、単行の制御電動車を導入する所もあり、
日本で単行制御車そのものを見る機会はかなり減ったように思います。


IMG_2674



そんな中、今でも増結運用にだけ徹する単行の制御車も存在します。

画像の富山地方鉄道クハ175形がその一つです。

1981年に導入されたこの車両、見た目は14760形そっくりですが、
貫通扉を持っていません。

また、両運転台構造ではないため、単行での往復も不可能です。
*主電動機を搭載していてかつ転車台みたく車両の向きを変えられるならまだしも

殆どの鉄道会社では、先ほど挙げた要因により見られなくなった単行制御車が、
富山地方鉄道では今でも現役で使用されています。


IMG_2604

これは現地に行かないとなぜかというのは伝わりにくいかと思います。

この鉄道会社、非常に利用客が多いです。
特に朝ラッシュの混雑は非常に激しいです。


IMG_2620


IMG_2492


ここ最近は元東京急行電鉄の車両の導入によって、3扉で運転する車両も
現れていますが、殆どの車両はご覧のように2扉。

接客設備もその殆どが転換クロスシート。

普通に考えれば運行に遅れが生じる可能性は十分に高くなります。


そのようなときに用いられるのがこの車両です。

以前は他形式からの改造車両としてクハ171~174が存在しましたが、
現在残るのは最初から増結を前提に製造されたクハ175のみ。

また、いくら利用客が多いとはいえその需要が昔と変わらないかと言われると
必ずしもそうではなく、特に定期利用客は減少しつつあります。


その為クハ175の運転機会も縮小傾向にあるそうな。


今のところ正式に廃車がアナウンスされてるわけではないので、
暫くの間は見られるでしょう。

IMG_2568

しかし、クハ173・174を間接的に東急車が置き換えたため、
今後3両固定編成がまた導入されると、クハ175の立場はどうなるのでしょうか?


気になるところです。





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またかなり期間が開きましたね。あきませんわぁ。

ここ最近名古屋線方面の撮影地を色々巡っていました。

その中でも特に気に入った場所を紹介します。

IMG_3590


場所はこちら。塩浜から北に一駅行った海山道駅です。


IMG_3695


海山道と言えばどちらかというと下り列車を連想する方が多いと思います。

勿論その通りと言えばそうなのですが、管理人自身はこちらよりも
上り列車の撮影の方が気に入りました。


IMG_3620


それがこちら。

立ち位置としては東側の駅舎と信号関連装置に挟まれた格好で、
どれだけ多くても2人が限界なポイントです。

ただ、名古屋線の最長編成である8両が綺麗に収まる場所でもあるので、
少人数で撮るときにはおススメしたい場所です。


IMG_3633

生憎私はまだ技術に長けていないどころかカメラの性能に頼りっきりな
部分もあるため、正直言って撮影地紹介していいのかどうかはさておき…

とりあえず軽く詳細をば。


  • 時間帯:午前中(9~10時ぐらいがおすすめ?)
  • 同時に撮影できる人数:2人(個人の主観)
  • 最大撮影可能編成:8両(それ以上も可能だが名古屋線は8両以上の設定がない)
  • 焦点距離:70~190mm(個人的には150mm前後)
  • 編成被り:稀に発生

まぁこんな感じですかね。



ぜひお役立てください。


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